Dr.肥沼の偉業を後世に伝える会

肥沼信次の偉業を伝える会の活動

 ドイツのヴィーチェンの人々は、戦後の混乱の中、自身の身の危険も顧みず、乏しい医薬品の調達から、食料の調達まで、献身的に尽くしてくれたドクター肥沼を今も語り継ぎ、毎年慰霊祭を行っている。
 ベルリンの壁が崩壊後ようやくご家族にもこの知らせが届き、"日本の桜が見たい"と云って亡くなられたお兄さんを偲んで、弟さんが桜を植えられ、せめてもの慰めとなっている。

 今年の慰霊祭には、八王子市長を通じて母校の第3小学校の生徒さんや、会員、この偉業に感銘した人々からの千羽鶴が贈られ、ヴェーチェンの市長から届いた写真です。
 10年前に肥沼信次を知り、ヴィーチェンの墓参に行ったメンバーが、どうしてもこの偉業を八王子でも称えなくては、又、後世に残し、語り継がなくてはとの思いがボランティアネットワークのメンバーにも浸透し、会を持った。
 10年間暖めて、何とか形にしなくてはとの強い思いを、より多くの方々に知って欲しいと、奔走し、行政の方々にも伝えることが出来、行政の協力もいただきながらの講演会が出来、代表の素晴しい訴えとなった。
 2月、労政会館に大勢の方がお集まりいただいた。
 肥沼さんのご遺族の方々も駆けつけてくださり、大勢の方が忘れずに居てくれたことに感動して帰られた。
 感銘を受け、後援会を共にしたボランティアネットワークと行政の面々。

 第1回目の講演会の終了に、今後の活動に向けて夢を抱きながら…
 母校である第3小学校に、出来立ての絵本を40冊寄贈。

 校長先生から、今後、6年生を対象に肥沼の偉業を考える授業を取り入れることを熱く語ってくださった。
 これからの活動として、偉業を伝える手段の提案をいただき、ご協力を得るため、市内の多方面でご活躍で、関心を持っていただいた方々にお集まりいただき、話し合う。大変有意義な会となった。
 ベルリンの壁が崩壊するまで、ご家族にも消息がわからず、ご両親は、この偉業、そしてご自身もチフスに侵され37歳の若さでこの世を去られたことも知らずに、なくなられている。
 その後、弟さんによって墓碑に書き加えられたそうです。
 自身もチフスに侵されたが、薬は、他の患者に!と云って数人の看護婦に見守られて世を去られた。と今もドクターコエヌマに命を救われたと高齢の市民は云っているそうです。
 命日に墓参しました。
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