府中市史談会
                               

府中市史談会=公開講座
「武蔵国府跡の最新発掘調査成果からみた1300年前の”府中人”の暮らし」
日時:2013年2月10日 
於:府中市教育センター
講師:府中市ふるさと文化財課 課長 江口 桂 氏
    (写真は講演された江口 桂氏)
[古代”府中人”の暮らし]
はじめに
 府中市では、市民の皆様のご理解・ご協力によって、昭和50年から現在まで、38年間、1650ヶ所を超える発掘調査を実施し、その成果により「古代武蔵国府」の風景とそこに暮らした古代”府中人”の具体的な暮らしぶりが明らかになってきました。
 古代の国府は、全国68か国あったといわれていますが、全国的にみて、発掘によって国府全体の具体的な様子がわかっているのは府中のみと言えます。出雲国の国府でも国府域の復元が行われていますが、これは発掘調査の結果によるものではなく、「出雲国風土記」という貴重な古代の文献資料に基づいて作成されたものです。
1.古代の都市武蔵国府と”府中人”の生活
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   奈良時代前期の武蔵国府の人口は、竪穴建物の数から推計して、1,200人以上だったと思われます。
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   中村順昭氏の研究によれば、国府には、国司とその従者・資人、事力(じりき)、外散位(げさんみ)、      
   郡司師弟、兵士など、100人以上の「国府人」がおり、その他にも多くの人々が暮らしていました。
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   奈良時代前半に作られた、有名な山上憶良の「貧窮問答歌」によると、古代の人々が倒れ掛かった      
   「竪穴建物」で暮らす貧しい生活だったイメージが強いが、「竪穴建物」は冬暖かく、夏涼しい建物で、      
   東国ではこのような気候風土に適した建物として、平安時代まで使われていた。
  す馼椶涼┠蠏物にはどんな人が住んでいたか?
   武蔵国府跡で検出された4,000棟を超える竪穴建物は、一般集落と比較しても、その構造や造作に大      
   きな違いは認められない。
   国府域の竪穴建物の大半が、短期間で入れ替わる雑徭(ぞうよう)の徭丁(ようてい=短期間労働者)      
   のために、絶えず多くの竪穴建物を用意していたと思われます。
ナ疹覽の貴族の邸宅と国府の宅地はどれくらい?
 平城京の三位以上の宅地は、67,000屐複環)とされていますが、武蔵国府の国司として赴任する貴族の位(四位〜五位)の場合だと、16,000屐複営)、無位の人は、250屐1/64町)とされています。荒井健治氏の研究では、武蔵国府の場合、竪穴建物跡の発掘データなどから、1つの宅地は1,000崢度と推測されています。
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 古代の台所は、ほとんどの竪穴建物跡から竈が発掘されており、そこでは、土師器の甕などが煮炊きの道具として使用されていたことがわかっています。
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 残念ながら、武蔵国府跡では古代のトイレ遺構が発掘されていませんが、秋田県秋田城跡などでは、古代の水洗トイレ遺構が発掘されています。武蔵国府跡で発掘されている円形の土坑がトイレかもしれません。
2.古代”府中人”の装い
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 古代の役所では、位によって服の色が決められていました。他にも、冠・衣・袴・帯・靴・髪型などが細かく決められていました。庶民は、麻布の上着とズボンなどを着ていたと思われます。
 古代”府中人”のアクセサリーと装い
 武蔵国府跡からは、飛鳥時代の石製勾玉、丸玉、奈良時代の櫛なども発掘されています。

3.古代”府中人”の食べ物
 竪穴建物から、炭化した米、クヌギ節果実やモモの核などが発掘されています。また、漁具に使用されたと考えられる土製の錘なども発掘されています。

4.古代”府中人”の名前
 発掘された土師器に書かれた名前らしき文字が見られます。「口?足女」「牧麻呂」「久須和北万呂」「小山田」「榎本」などがあります。

5.古代”府中人”の災害と復興
 平安時代前期の日本列島は、大地震と火山噴火が相次いだ災害の世紀であったことが保立道久氏によって紹介されています。
 特に関東地方では、弘仁9年(818)7月の北関東を中心に、広い範囲で内陸地震が発生(推定マグニチュード7.5以上)。また、元慶2年(878)11月の関東南部大地震(推定マグニチュード7.4)では、相模・武蔵が被害甚大であったことがわかっています。
 これらの震災をきっかけにして、9世紀に武蔵国分僧寺の大規模な復興・再建が行われたとする坂詰秀一氏の説が出されています。
 もしかしたら、武蔵国府でも、同じように大規模震災を契機として、大規模な改修が行われたかもしれません。


*武蔵国府は、古代の律令国家の出先機関としての機能は古代で終焉を迎えますが、国府そのものは、室町時代まで府中の地にあり続けます。

<写真は江口 桂氏より提供>
上:古代の役人の顔が描かれた土器
中:出土した炭化米(分梅町)
下:「牧万呂」と墨書された土器 


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