環境シンポジウム千葉会議
                         

2015年度研修旅行報告(2016年2月21・22日)

「柿田川・伊豆の歴史を巡る研修旅行」報告書
     実施日:2016年2月21・22日
     参加者:木田・鴻池・芝・柴田・中川・中山・西川・松島・三浦

早咲きの河津桜の開花の声を聞く頃、環境シンポジウム千葉会議主催の視察学習会旅行が開催された。今回は、静岡県の伊豆・三島・修善寺方面に向けての視察学習会だ。
1日目は三島大社・柿田川湧水群・三島市立公園楽寿園・源兵衛川・大瀬崎。
2日目は紙谷和紙工房・江川邸・韮山反射炉 の行程である。

 
   

<1日目 >
 2月21日(日) 午前8時30分に運営委員6名、その友人、知人、ご家族含め計10名を乗せた鎌ヶ谷観光のバスは、船橋天沼公園を出発し一路伊豆へ向かう。前日の大雨で浄められた快晴のこの日、首都高速も渋滞なく、運転手さんもガンガン飛ばして予定より早く目的地に到着しそうだった。途中、新東名からの富士山眺望を期待したが、裾野を残しスッポリ雲でその姿を隠していた。木花咲耶姫の女神を祀る富士山だけあって奥ゆかしいのか……。チョット残念。
予定では三島大社見学が危ぶまれたが、時間調整で午前中三島大社を見学出来た。
ところどころ河津桜が彩りを添えている。
三島大社は伊豆ノ国一宮で、源頼朝が源氏再興を祈願した事で有名な大社である。昼食は天神屋で戴き、午後は柿田川湧水群へ向かう。
柿田川は狩野川水系の一級河川である。
富士山に降った雨水、雪融け水が三島溶岩流に浸透し湧き出た湧水である。
その昔、その清流が故に大手製紙工場が進出し、工場排水垂れ流しなどでの水質悪化や護岸のコンクリート詰めなど最悪な状態だったが、1980年代からみどりのナショナルトラストの活動により工場の移転、浄水活動が行われ、みどりのナショナルトラストの下川原里美氏によるボランティア活動での柿田川の歴史と環境保全活動状況の解説などを通し、見学者達に理解を促している。現在では国土交通省管轄、柿田川みどりのナショナルトラストにより管理保全され、周囲の土地の買い上げも続けられている。
今では、嘗てのきれいで清流な湧水を湛えており、コバルトブルーの水面にきれいな水でしか生きられない三島梅花藻が自生し、カワセミも生息している。
水温は通年15℃なので、季節問わず三島梅花藻の可憐な花が見られるがこの日は残念ながらお休み。しかし、自生ワサビが育っていた。
次に向かうは三島市立公園、楽寿園。ここは、旧小松宮彰仁親王の別邸であり、後に朝鮮王世子・李氏の別邸となり、1952年に三島市が購入した。庭園など国天然記念物、及び名勝指定、静岡県文化財に指定されている。
園内の小浜池より源兵衛川に注がれるのは、富士山伏流水であるが今は枯山水の様に三島溶岩に覆われ、池の様に水を湛えるのは5〜7年に一回程度。現在ではー40僉さながら地下水だ。原因は、工場取水と気候変動によるものと言われている。
南出口のそばに源兵衛川の源流があるが、川自体は園外に出ないと見られない。映像などで目にする里山に流れる源兵衛川の姿は三島駅より10分程行った所にあるらしいが、行程上行かれずに終る。皆、その源流を見たかったのに……。
楽寿館は小松宮別邸で、数寄屋造りの風情のある建物だ。
ガイドの女性が30分間、詳細に説明してくれる。
襖、格天井に施された絵画や調度品など目を見張る物が多い。同じ様な造りの建造物に、千葉県松戸市の戸定亭、佐倉市の堀田邸がある。
夕方4時30分頃に大瀬崎に到着。半島の突き出た岬の中に淡水池の「神池」がひっそりと水を湛えている。周囲を海に囲まれている立地でも真水が湧き出ているのは富士山湧水であるが故だ。池の周囲は欝蒼としていて夕方一人ではチョット歩きたくないな……。
池のほとりに鯉のエサ自動販売機があり、多くの鯉達がその付近で集まり口を大きく開けている。他の所にはほとんどいない。鯉って結構賢いのかもしれない。
1周グルリと巡り海岸へ出る。この大瀬崎には、自生の白槙(ビャクシン)という槙の一種の木が一面に生え小さな花実を付けている。海風に吹かれ幹は捻じ曲がり、樹皮は剥がれ木肌がツヤツヤしている。半島突端に行く程花実も付けず枝も横這いになり、雨風の激しさを物語っている。
大瀬崎神社へは階段を何十段か登る。足腰負傷で杖持ちの私は見上げて終了。参拝した人達の感想……彫り物が素晴らしかった!天狗が祀られているのか大きな下駄が階段に鎮座している。
日没も迫り、ダイビングの若者もまばらな海岸を横目に急いでバスに乗り、伊東園ホテル土肥へ直行。
ホテルではバイキングディナーで乾杯!美味しいお食事とお酒とで参加者の方達とも和やかに会話も弾み、親睦が深まる事にこの視察学習会旅行会の意義と主旨を感じる。
夜、温かく効能あらたかな温泉にゆっくりつかり、ぐっすり休む。
<2日目>
前日の快晴とは打って変わって、空はどんより曇り空。
モーニングバイキングを終えバスは一路修善寺へ。
三須氏の御親戚の児島敏子さん経営?の和紙工房にての紙漉き体験をさせて頂いた。
三椏・楮・とろろあおいを使用する。「三椏(みつまた)」は、木の枝が三つに分かれているところから名がついた。
敷地内の畑に三椏の木が黄色と白の小さな花を咲かせていた。
紙を漉くにはまず、三椏の木の皮を蒸し、ミキサーにかけて茹で、とろろあおいを入れ水で溶かし流しへ…。冷水でないとのりが溶けるので、冷たく寒い冬の仕事であり、夏場は不向きとの事。
冬場、寒冷との戦いである。
曇り空の肌寒いこの日、流しの中で冷たく溶けた三又溶液を木枠ですくい、上下左右にゆすり漉いていき一枚ずつ重ねる。一人一回漉き重ね4枚目でハガキの厚みになる。
皆、童心に返った様に嬉々として8等分にされた漉き紙の上に用意された草花を置いていく。
爪跡やムラはご愛嬌で……。草花を置いた上に一枚漉き紙を乗せ乾燥させて完了!
紙漉き後、修善寺ボランティアも兼務されている児島さんに修善寺案内して頂き歴史散策を楽しむ。修善寺は町の名。修禅寺は寺の名前。
伊豆修善寺は昔は流刑の地であり、源範頼・頼家の墓と十三士の墓、そして北条政子が頼家冥福の為に建立した指月殿などがある。また、京都に想いを馳せ「桂川」・「桂橋」・「渡月橋」
などの名を付けている。
修善寺前で御世話になった児島さんに別れを告げ、迎えに来たバスに乗り御一行は代官屋敷で昼食をとる。かなり豪華なメニューだった。
昼食後、御一行は先に江川邸へ向かう。江川邸は昨年2015年に世界文化遺産に登録された韮山反射炉を設計した代官、江川英龍の邸宅・代官屋敷であり国指定重要文化財に指定された。
江川邸記念館も素晴らしいが、主、江川英龍という人物もまた凄い。
清和源氏の流れを汲んだ宇野氏から江川に改姓し伊豆の豪族となり、徳川家康に先祖が仕えたが故に代官として伊豆の国を統治していく。「代官」は現代の県知事の様な立場である。
代々嫡子が家督を継ぐ家系の江川家を継いだ次男江川英龍(担庵公)は
*韮山代官として、伊豆・駿河・相模・足柄・鎌倉・武蔵野多摩などを支配していた。 (県知事)
*韮山で流行した疱瘡では牛痘摂取の蘭方医に自分の子を実験台に種痘を受けさせ成功し、 侍医に種痘技術を身につけさせ村人を救った。 (医学)
*江戸の鎖国終焉と開国の必要性を問い軍事力・海防政策と農兵制度の必要性を説く。(国際政治)
*陸海軍編成法、築城術、小銃・大砲の製造技術、運用方法普及の為韮山塾開設。 (教育・兵法)
*大砲製造に着目し、反射炉設計する。最初は下田だがペリー艦隊の水兵が予定地に進入。 山に近く韮山役所近辺に移転した。(反射炉製造)
*米国ペリー来航後、富津(千葉)・横須賀(神奈川)間に12基の砲台場築造するが実際は6基。 現在2基の台場が東京湾に残る。若者の集うあのお台場である。 (砲台場建設)
*軍隊の携帯食としてパンに着目。日本で初めて堅パンを焼いた。もともとパンはポルトガルより伝来したが、鎖国令、キリシタン弾圧などで普及せずそれまでは長崎出島のみだった。 江川英龍(担庵公)は、手代、柏木忠俊にパン製法を学ばせ作成し初めて日本国中に広めた。
故に「日本のパン租」と呼ばれ、天保13年(1842)4月12日に初めてパンを作った12日を「パンの日」に制定している。 (パン製造)
我が「千葉のパン租」鴻池さんも日夜美味しいパンを多くの人達に提供している。
他にも芸術に秀で、書・画など多数の作品が残されている。英龍(担庵公)は、さながら日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ。博学天才、活動家である。
この人程「天は二物を与えず」の諺は当てはまらないと実感した。ただ、「佳人薄命」は納得できる。享年54歳没。人生半世紀程で駆け抜けた。
江川邸はとにかく立派な造りだ。土間からしてまず広い。天井も高い。
玄関先を三和土(たたき)と言うが由来は、粘土質の土とにがり(塩)、石灰の3種を混ぜ練り合わせ棒で叩き固めると、湿気を含み埃や砂地にならず、現代のコンクリートの様になるらしい。
また、土間に立っている生柱は礎石が無く生きた欅を柱として利用したもので根が付いている珍しい柱である。
武家屋敷造りのこの邸は時代劇のロケーションにも使われた。
まだまだ書き足らないが、韮山反射炉へ行こう。
世界文化遺産に登録された韮山反射炉を初めて目の当たりにした時に感じたのは、思っていたより案外小ぶりでコンパクトなものだ……ということだ。ここであの大きな大砲を作っていたのだ。日本での反射炉は岩手県・山口県・佐賀県・鹿児島県とあるが一番完全な形で残っているのは伊豆の国市の韮山反射炉のみである。幾度かの大地震に見舞われたが、その度に復旧、再建され今にその姿を残す。世界文化遺産登録が遅れたのもこの事が問われたらしい。
これら江川英龍(担庵公)の業績を見ても、現代の科学技術をもってしても遜色のない事業をやり遂げている。そして、現代日本の基礎を作り上げる一端を担っていたのに、およそ無名に近い人物だった。米国、ペリーとの関わりがいろいろあったらしいが、ここでは割愛する。
そして、もう一つの英龍(担庵公)の事業?「担庵公、女子への訓言」だ。
読めば読むほどに…女性への飽くなき理想か…わかっちゃいるけど…現実的には…性格的には…などなど。いろいろ自問自答してみる。ふっ…と山本周五郎の「婦道記」を思い出した。
視察・観察も終わり楽しい学びの珍道中も終盤に差しかかり、帰路のバスの中、満開の河津桜を尻目にうつらうつらとうたた寝しながら夢の中。10名の感動、感心、感嘆、驚き、楽しい笑い声の中、充実した学びのある楽しい2日間を過ごせた事に大きな喜びを感じる。
1人で行けばただの素通りも、目的を一つにする仲間と交流を持ちながらプロの説明を聞く事で新たなる発見と、自分の中の疑問や考えも明確になり、理解し学んでいく。
この様な機会はそうそうあるものではない。その上、私は日本人の割には日本の事をほとんど知らない。また何か小さな目標を作り、皆様とまた御一緒に学びの旅が出来たら嬉しい限りである。
良く学び、良く歩き、良く食べ、良く笑い、そして効能あらたかな温泉に浸かる……
最高・最善な環境活動ではないか!…と、思ったところで目が覚めた。
さて!来年はどこいずこやら……

松島 由季 (記)


前のページへ戻る
浦安市市民活動センター