川添地区コミュニティ協議会
                               

第3回川添地区史跡めぐり in 元山町


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 ここ元山町は、712年大安麻呂撰による古事記の記述にすでに、「毛止夜万」という地名で出ている。どうやら、この地方は相当早くから拓けた土地だったらしい。
                          山下達雄・『川添文化』より
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【開催日時】 
平成22年6月6日(日) 9:00〜13:00

【コース】(距離:7.5辧
  ’魯慮水神
  ⊇嫺川の川市
  出水の沿革の碑
  げ賄津貔遏覆わたとうせん)の墓
  ト鳥神社
  μ師庵
  Х野神社と金毘羅社
  大熊城跡

【参加者数】75名



 
   

   準備体操です
    さあ!出発


    背景に久米山
    ’魯慮水神



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 この地にはかつて出水があり、干ばつの時でも水が湧き出ていた。今は河川改修のため、現在の位置より北東に玉垣をめぐらして『御大典記念の際、地主と小作の円満記念として後世までに建立す 昭和3年8月再建』とある。
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   ⊇嫺川の川市

     (平成22年5月20日)
 孝明天皇の嘉永年間(1,848-1,854)、春日川の土手で、牛の骨を拾った子どもたちが百万遍遊びをした夜、子どもの親の夢の中に、大きな牛が現れ供養をしてもらったことへの礼を言ったという。

 翌日高松の清光寺の住職に相談すると、流れ潅頂をしたらよいというのが春日川市の始まりだそうである。
   出水の沿革の碑
『此の末宗の住人清和源氏を祖とする富豪河田東川あり。元山村に生れ奇人にて俳諧を能くし又心学を修め。獨歩行堤燈名など言う教訓書を著述して、刊行せり。学才ありて、侠気に富み奇人の名を得たり』
げ賄津貔遏覆わたとうせん)の墓
 慶長の頃、生駒氏に仕えた河田権太夫は、元山村に住んで新田・春日・末宗・木太に2百石を領した
明和5年9月5日没


     ト鳥神社
(右)地神社 天照大神外四神
(中)末宗神社 道祖神、南の荒神
   という 御堂 天満宮
(左)飛鳥神社 昔、長曽我部氏の
   兵乱で大社焼失と伝う


 歴史とおごそかな雰囲気が
 感じられる社
     μ師庵
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 およそ400年前豊臣時代末期の慶長年間に疫病がはやり、その時、治病の仏様である薬師如来をお祭りして、みんなが健やかに過ごせるよう祈願創建されたのが、元山薬師庵です。
 中でも、第8代庵主「達善和尚」は厳しい戒律を守り修業を重ね将来発展の礎を築いた功績をたたえ後世に伝えるため、地蔵菩薩像(左の立像)として祭られている。
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   Х野神社と金毘羅社
 大熊城主「大熊丹後守・清助」が勧請して建立したといわれる。
 天正10年(1,582年)兵火により焼失。その後、兵乱を経て三谷彦兵衛により再興された。




 毎年秋にはお祭りが賑やかに行われ、熊野神社は子どもたちにとって思い出の場所になっている。
     大熊城跡
 大熊城の位置を特定できるものは残っていないが、現在の琴電元山駅を中心とする一帯にあったのではないかとの説が有力である。
 
  この水路が、大熊城の一角
  であるという説も。
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    * *大熊城異聞 * *

 武田信玄の孫桃千代丸が大熊城に逃れてきたという説。
 武田信玄の子勝頼の側室「蘭渓」が生んだ桃千代丸は、乳母の地の讃岐国の大熊城主大熊備前守の屋敷に身を寄せていた。 桃千代丸は故郷恋しさの余り東山崎町の久米山に「諏訪神社」を建立し、祖霊を慰めていたという。

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