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ホーム > 特集 > 特集No.69 戸田NPO協働センターの東日本大震災支援の記録(第3回)

福島原発被災地支援(災害支援から復興支援へ)

 様々なNPOや市民ボランティア、国家的な公助が入り始めた宮城県、岩手県から、福島県支援にシフトし、現在までのところ国交省関係の予算で特に川内村を支援している。

 この間、数回の現地訪問及び戸田市の施設からバイオ燃料装置の搬入などを行っているが、先日は帰村促進事業の一環として「村まつり=復興祭」へボランティア協力を行い、エコライフDAYとだ実行委員長や子供ヒップホップダンスチームなどの参加をお願いした。

 戸田市ボランティア・市民活動支援センターでの掲示及びサイトでの呼びかけで2名のボランティアも参加して、総勢300名ほどのボランティアが結集してイベントが開催された。


≪写真左:第2回震災支援フォーラムでの報告≫

 今回の大震災の特徴は、地震に加え想像を絶する津波の被害だったが、それに加えての福島原発被害は第3の被災者を作り出している。

 この目に見えない被災は、ある意味で人災ともいえる原発事故によるものであり、地震や津波の被災地が復興に取り組み始めてもなお先行きの見えない避難が続き、ソ連のチェルノブイリ事故のようにこれから何年かかるか、もしや帰還自体が無理な状況になるかも知れない恐怖を伴う。

≪写真右:川内村と白岡町議員団との懇談≫

 そんな福島県の原発被災地の復興はより深刻でもあるだろう。原発に近い地域では今なお、倒壊した建物や津波の被害は手がつけられないままであり、人気のいない集落は復興策も練ることができない惨状である。

 この川内村でも一見すると建物に被害がないようにも見えるが、立ち入り禁止で倒壊寸前の旅館もあり、あるいは室内は地震直下のまま高齢者では片付けもできず、帰宅しようにもできない家もある。
 
 そして何より怖いのはまだ解除されたにもかかわらず「放射能怖い」「土壌汚染で住めない」「農作物が売れない」といった村民自身の生活再建の目途がつかない状況にある。3千人いた住民はまだ750人(9月現在)しか戻ってこない。
行政は戻ったにしても商店も自治組織や消防団なども組織化できず、市民生活は戻れない状況である。

≪写真上:戸田市から搬入されたBDF装置≫

 今回、もともとは中間支援組織である市民キャビネット災害支援部会本体が国交省などの助成事業でこの村を直接支援するのは、そうした復興課題が他の地域にない複雑さがあるからかも知れない。
 
 少子高齢化で限界集落化していく日本の「地域社会」の象徴かも知れないこの地域は、その恩恵を都会に与えていながら崩壊する日本の農村漁村のモデルにしてはならないだろう。それは都会に生きる全ての人々が自覚し、その復興を支援する義務があるのではないだろうか。

 そうでなければ災害に負けるだけでなく、日本の地方は都会に負けてしまいかねないのが現状ではないだろうか。福島の復興はまさに日本の復興そのものの課題を示している。 


おわりに

 戸田NPO協働センターはこのレポートをもって活動を終了するが、復興支援はまだまだ必要であり、市民活動の重要性は継続していかなければならない。

 今度は、「新しい公共をつくる『市民キャビネット』災害支援部会」として、それぞれの団体や個人として引き続きの支援活動をお願いしたい。関係各位の今までのご厚情に感謝して報告を終わりにする。

≪写真右:川内村復興祭の様子≫
≪写真下:国境なき楽団/庄野真代さん率いるメンバー≫
 ☆復興ソング『ちいさな靴』
 http://www.youtube.com/watch?v=9qRUc0Xht-E











                      【文責:新しい公共をつくる市民キャビネット災害支援部会 山中 邦久】
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戸田NPO協働センターの東日本大震災支援の記録(第1回)
 https://genki365.net/gnkt01/pub/sheet.php?id=79380

戸田NPO協働センターの東日本大震災支援の記録(第2回)
 https://genki365.net/gnkt01/pub/sheet.php?id=80820
 
情報掲載日:2013/12/27
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