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ホーム > 特集 > 特集No.60 『東日本大震災支援活動報告(3)』


大震災から早4ヶ月になる7月11日、その前々日の9日(土)から3日間現地を周った感想を3回シリーズの最後として報告させていただく。

今回のミッションは前回の、石巻市のNPOにワゴン車寄贈と同様、岩手県と宮城県に2台の自動車を寄贈する陸送ボランティアだったが、予定していた岩手県のNPO法人遠野まごころネットへ寄贈する車がキャンセルになったので、宮城復興センターへのワゴン車の贈呈だけになった。その分、騎西町に隣接する白岡町の議員団(4名)を同乗させての現地視察を企画することになった。

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◆ 宮城復興センターへの車の寄贈

この震災で発災、復旧、復興という3段階の思いを強くしたのは高速道路を通じてだ。発災時は、一般車両通行止めの中を政府・民主党の協力で自己完結型NPOとして自衛隊や警察車両などとともに走行。1ヵ月後の復旧時では緊急性がない場合は、週末ボランティアが多かったのもあって高速道路は千円ですんだ。

今回は、自腹だったら高額の料金になるところを、災害支援等従事車両許可証を埼玉県と帰りは宮城県が発行してくれたおかげで無料での通行ができたからだ。現在、被災民の罹災証明とともに災害支援団体にも許可証が出されている。この発行に関しても平和ボケで慣れない市町村は手間や時間がかかったり、面倒がるなどひと悶着あるようだが、こうした細部の出来事の中に「被災」をどう共有し、自分たちのものとして捉えられるかという基本的な課題にも通じることになるのかも知れない。

「新しい公共」という組織化されたボランティア団体との協働をどう行政などが受け入れられるか、まさに新しい国づくりには欠かせないステップが今現場で起きているのだろう。それには人づくり、組織作り、基金やファンド作りという、いわゆる「人・金・物」という当たり前のことだが、それの基本は人間の意識、知恵だろう。しかし、この意識改革ほど実際には時間も手間もかかる作業はない。三年寝太郎たちが、目覚めることができるかどうか。既存の組織がイノベーションできるかにもかかっている。今が日本人全体にとっても恐らくターニングポイントになるのではないだろうか。

ともかく戸田市でのある団体から提供されたワゴン車といつもの4WD車の2台に分乗して土曜日に戸田を出発。被災地支援の中心になった宮城復興センターの物流センターでなく主管するNPO法人事務所のある仙台市内に午後には到着した。そこで担当者に書類と鍵を渡し、代わりに宮城県発行の許可証を受け取った。本当はそのまま東北道を北上して、自衛隊などと後方支援基地にもなっていた遠野社協内にある遠野まごころネットを訪問、予定していた自動車の寄贈が出来なかったことをお詫びして、大槌町、山田町から三陸を宮城へ周る計画だったが、それでは1日被災地が見られないということもあって議員さんたちの要望からそのまま石巻市に向った。


◆ 石巻から三陸海岸へ

久しぶりの石巻市は道路沿いの瓦礫が整理され、横転した車や漁船はなく、建物内にも自動車が突っ込んでいるような箇所も各学校の避難所も縮小されていた。それでも女川町の港では一面爆撃の跡のような状況は変わらず、同行者たちはその光景に息を呑み、盛んにデジカメのシャッターを押していた。噂通りの悪臭は尋常ではなく蝿も日が暮れだしたにも関わらずすごかった。

1人が石巻で蕎麦打ち炊き出しボランティアを企画予定だったがこれではムリだとわかったという。余りの臭いのひどさにそそくさと車に避難、気を使って乗っても車中に20匹近い蝿も同乗してしまったおかげで、やれ「窓を開けて追い出せ」「殺虫剤はないのか」と大騒ぎだったが、これ以上にひどい悪臭と蝿にこの地域の子どもたちは毎日悩まされていると現地スタッフに聞いていただけに、まだまだ可愛いものだと思いながら牡鹿半島に向った。

寒さに震えていた震災直後から今度は暑さと悪臭と蝿に苦しめられている。油断しているとすぐに秋になり、また極寒の冬になる。復興はスピードが命だ。夕暮れのなかでもう4ヶ月も過ぎながらほとんど進展のない現地に絶望感が湧いてくる。

実は今夜の宿泊先を決めていなかった。議員さんたちには悪いがこちらまで来ると旅館の予約も難しく、被災者と同宿や一関や盛岡の駅前のビジネスホテルで空いているところで我慢してもらおうかと思っていたのだ。どこで時間になるかも予測できなかったこともある。私としては牡鹿半島の先端を周って以前の状況がどう変化しているかを確認したいところだったが、みんなの希望もあり、高速代も無料なので大川小学校の北上川を渡って三陸道へ戻ってむしろ松島まで行って、被害の少なかった観光地の温泉の状況を調査、現地への間接的な経済的支援にもなるだろうと、ちょっと言い訳がましい理由をつけて松尾芭蕉の「ああ松島や」の句でも有名な松島の旅館に宿泊することになった。


◆ 松島の観光旅館から岩手県へ

日が延びて7時過ぎてもまだ明るいために時間感覚がなくなってしまうのだが、普通の旅館やホテルではとっくに夕食が終わっている時間だが、数件の問い合わせをして、結構有名な高級旅館に話をつけて別館に、2食付で7千円と少しで泊まれることになった。そこら辺でも素泊まりで5千円台が普通だから格安だ。旅館は一般客用の本館と作業員やボランティア用に別館を用意しているようで、別館は食事も布団も多めに事前に準備してあって人数分片づけるやり方のようで、少し遅くなってからもボランティアが到着などしていながら、一般の観光客には目立たないような工夫をしているようだった。

翌日の福島県でも避難民を受け入れているために一般観光客が減少してしまったり、宿泊者同士のトラブルがあるなど苦労している話も聞いたが、旅行気分の観光客には作業服姿の従事者やボランティアの姿は気になるところなのだろう。観光復活と復興支援との両立は難しい問題なのかも知れない。

ともかく今更被災地にテントを張ったり、寝袋で悲壮感を味わうボランティア活動の意味は少ないのだから、義援金のつもりでできるだけ現地の旅館やホテルを利用し、お土産も豪華に買って帰るボランティアは大いに歓迎だろうから、今後のボランティア派遣には参考になればと思うところだ。

さて、いよいよ翌日、議員さんたちの中には、「1日は泥出しボランティアでも」という話もあったが、体験程度では現地スタッフや被災者にはむしろ迷惑なので、この際、次のミッションは自分の町で市民ボランティアを養成、募集、現地に派遣するための現地調査、自分の目で被災地をしっかりと見ることや埼玉に避難している双葉町の住民たちを本気でクラインガルテン構想(※市民農園を中心としたまちづくり)で受け入れられるのかの検討課題を解決できる調査をしてほしいと、予定通り三陸海岸を岩手県側に行けるだけ行こうということになった。


◆ 南三陸・気仙沼・陸前高田

三陸自動車道で志津川から南三陸町に昼前には到着した。快適なドライブだったが、一般道を志津川から南三陸町に向う入り江や川沿いの被災地を見ると林の木々に瓦礫がまだ散乱しており、つぶれた自動車や漁船がこんな山間までどうやって流されたのかと驚きの声の連続だった。ところどころ気仙沼線の線路が寸断され、鉄橋が破壊され、駅舎の跡形もない地域を通って、穏やかな小川の周りになんでこうした瓦礫が散乱しているのか説明できない村も多かった。こんな小川をどれだけの津波が逆流したのか、自然の力の恐ろしさをまざまざと思い知らされる。

南三陸町では、最後まで防災無線放送を続けて殉職した女性職員の3階建て防災センターも、細かな瓦礫がなくなり鉄骨だけが無残に取り残されている。ところどころに瓦礫のお台場のような台形の山があったり、SOSを屋上から発信した話題の病院にはあいかわらず2階部分辺りに漁船が放置されたままだ。出来るところだけ片づけているという状況か。

気仙沼に向かう途中で余震と見られる地震、車中で気がつかなかったが港近くで写真撮影中にいきなり津波警報が防災無線から流れ、海岸の警察や作業員、ボランティアが避難を始める。こちらも車に乗り込み、そのまま気仙沼市街に向う。気仙沼のジャスコが2・3階は営業しており店長を知っているので激励と聞き取りを予定していたが、屋上の駐車場に避難誘導されてではそれどころではなく対応に追われているだろうからと、伝言して地震が収まった頃を見計らって陸前高田市へ向うことにした。ところが海岸に通じる道は、すべて津波警報発令中は海岸部で交通止めのための大渋滞になっていて、仕方なく山越えで向うことにしてUターンすることにした。

陸前高田市では翌11日の記念日に合わせて青森の従弟たちが、本格的イタリアン料理の炊き出しを予定していた。彼は元々神奈川出身で、イタリアに留学、本格的な料理を学んで今は事情があって青森の父親の生家近くでレストランを経営している。大学時代には東京ディズニーランドでバイト。その頃の仲間や横浜、横須賀、湘南のレストラン仲間の協力ですでに数回も本格石焼ピッザ700人分など炊き出しを毎月のように行っているそうだ。息子と同い年の私の従弟なのだが、ディズニーはボランティア養成の動機付けも含めて、若者の力は東北と首都圏をうまくネットワークしている感じだ。

陸前高田の現状は瓦礫が片付き始めているだけにかえってその広範囲の被害状況に同行者たちは改めて津波の恐ろしさを感じているようだった。この地震と津波警報の影響で結局は遠野までは行けそうもなく大船渡市を周って、三陸道から東北道を通って福島県に入ることになった。


◆ 福島県の被害

7月11日のメモリアルデーに、福島県の4ヶ月目の被害状況を見ることになっていた。原発被害の南相馬市、相馬市、浪江町の、原発で立ち入り禁止区域ギリギリまでを確認すると同時に、岩手や宮城のリアス式海岸の被害に隠れて報道が不足している福島県沿岸の津波被害を調査しようというものだ。

原発での避難の悲劇は、物理的な目に見える被災でないことだろう。双葉町にはもちろん立ち入ることも出来ないが、浪江町では昨日まで作業をしていたり町場で暮らしていた人間だけが急にいなくなった町という異様な光景が広がる。まさに建物は現存していながら人が存在していない「死の町」だ。「無人の街」の怖さともいえるだろう。そんな恐怖の町なのに放射能は目に見えないがゆえに無知は恐怖に打ち勝ち、泥棒や家宅侵入という犯罪も多いらしい。宮城のような復興支援ではなくどちらかというと警ら隊のパトカーが全国から派遣されている。行き交うパトカーが三重、長野、福岡県警と書いてあるのでなんかコミカルな感じだ。福島県で埼玉県警のパトカーに出くわすと思わず「ご苦労さん」と手を振りかける。チェルノブイリを見ても恐らく10年、20年以上の単位での立ち入り禁止や避難は予想できる。放射能の被害は、地震や津波とはまた違ったものとして考える機会もあるだろう。


一方、福島県の海岸線の津波被害はこれまたマスコミではあまり採り上げられることが少ないが、低い防波堤に松並木で広大な農地や住宅地が津波に襲われた跡がくっきり残されたままだった。根が浅い松ではダメで、しかも瓦礫の防波堤には途中に林を準備する方が効果的だと思える。平野のような田畑に農家や農業用水路が点在し、小さな住宅団地もあったのどかな田園風景だったろうところが、4ヶ月経った夏のシーズンを迎え草が生えて広大な荒地にしか見えない。広さから言えば三陸海岸より被害は甚大なのではないだろうか。ところどころに塩水の沼や池が残され、田畑は塩害で回復の見込みは少ない。被害総額は元のように復旧させるには莫大な金額になるだろう。加えて原発被害の拡大によっては立ち入り禁止にもなりかねない場所なのだ。

取り残された民家やひっくり返ったトラクターが雑草に埋もれ始めて、まさに「夏草や兵どもが夢の跡」という風景が続く。さらに破壊された漁港や観光用海岸公園、地盤沈下で砂浜のなくなった海水浴場や潮干狩りの場所など、復旧作業は全くの手付かずに近い。

道路下の海岸に止めてあった知り合いの旅館のマイクロバスが海の中に浮いている姿に気がついてショックを受けた同行者もいた。ここが観光地に戻る可能性、確率はどのくらいなのだろうか。


◆ おわりに

福島の3人と別れて、少し精神的に落ち込んだみんなを乗っけて、本当は友好姉妹都市の白河市のトマト水耕法工場、バイオ燃料製造、戸田市民農園などを見せて元気付けて帰還してもらおうと計画していたが、時間が押してしまったこともあり、最後に茨城県笠間市にある週末滞在型宿泊市民農園、いわゆるクラインガルデンを見学して帰ることにした。

現地到着は夕方の6時前で職員も不在だったが、実は一行には騎西町に疎開している福島県双葉町の被災民に、白岡町の柴山沼周辺にこのクラインガルデンを建設、仕事と同時に仮設よりまともな住居を提供しないかと提案していて、政府にも政策提言しているところだった。

その参考にとこの笠間のクラインガルデンをモデルにぜひ見せたかったのだが、今までナーバスになっていた議員さんたちも「これはぜひ町長にも見せたい」「他の議員や職員も同行で見学を企画したい」と急に元気になった。

この滞在型市民農園クラインガルテン構想は、梨畑や農家の後継者に悩む白岡町の過疎化に対して、人的資源の提供で相互協力で「新しい村」を作れないか、観光農園と太陽光パネルや、風力、水力発電、バイオ燃料利用などのエコパークとして首都圏からの「自然エネルギー」と「有機野菜」「植物工場」。「エネルギーと食料の自給の町」という世界にも類のない、「原発フクシマ」から「自然エネルギーの新しい村」作りのモデル地区にと転換するチャンスだと提案している真っ最中だ。

まさにピンチがチャンスになるか。悲惨な被災地を周って、最後にたどり着いた「希望」の光に、疲れた身体を引きづりながら元気を回復した視察旅行となったのではないだろうか。

私たち戸田市民も、今度の9月11日の6ヶ月目の震災メモリアルデーに戸田市福祉保健センターを会場に、記念シンポジウムが予定されている。ぜひ、市民の皆様のご参集をお願いしてこのレポートを終わりにしよう。

この震災をただの不幸やピンチにせず、明日の希望につなげられるかは、私たち一人ひとりの意識と行動にかかっているのだ。がんばろう、日本!



◆◇◆ 被災地救援ボランティア募集 ◆◇◆

戸田市社会福祉協議会では、東日本大震災により被害を受けた被災地の支援を行う「ボランティアバス」の参加希望者を募集しています。
1.実施期間 【第1回】平成23年7月28日(木)〜30日(土)
              (移動日を含む)
         【第2回】平成23年8月25日(木)〜27日(土)
              (移動日を含む)

2.活動場所 岩手県陸前高田市

3.活動内容 
 被災された家屋に流れ込んだ汚泥の掻きだしや、
 清掃作業が中心となります。
 (現地の要請により活動内容が変わる場合があります)

※詳細・お申込は下記URLをご覧ください。
 ⇒http://genki365.net/gnkt01/pub/sheet.php?id=68280




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【文責: 山中邦久(日本ボランティア学会会員)】


≪特集バックナンバー≫
◎特集No.58 『東日本大震災支援活動報告(1)』URL:http://genki365.net/gnkt01/pub/sheet.php?id=67000
◎特集No.59 『東日本大震災支援活動報告(2)』URL:http://genki365.net/gnkt01/pub/sheet.php?id=67300
 
情報掲載日:2011/07/19
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