ガイドしながわ

平成28年5月度活動報告

1) 5月の主なガイド活動

1−1)4月30日(土曜日)、堀江さん、加藤さんが「横浜北行友会健歩会」山田様以下15名の方を品川三宿コースで案内しました。

1−2)5月11日(水曜日)、山田さん、及川さんが「チャレンジコミュニティー・クラブ7期2グループ」太田様以下13名の方を品川三宿コースで案内しました。

1−3)5月21日(土曜日)須山さんが「史誠会」7名の方を品川三宿コースで案内しました。

1−4)5月21日(土曜日)山田さん、青木さんが「ICU 山と自然を楽しむ会」勝山様以下16名の方を、品川駅〜北品川宿界隈〜東品川会場公園のコースで案内しました。

1−5)5月25日(水曜日)及川さんが「S−T60会」小林様以下7名の方を品川三宿コースで案内しました。

2) 文化財巡りお手伝い

5月21日(土曜日)小出、吉岡、添田、青木、庄司さんが、教育委員会主催の文化財巡り(荏原南西部地区)で、交通整理、道案内等でお手伝いしました。

3) 勉強会

 5月27日(金曜日)、庄司、磯和さん以下14名の方が、「芝のかたりべ」に所属される増上寺のガイドのかたの案内で「芝増上寺」を訪問。増上寺の歴史、史跡などを勉強しました。詳細は写真をご参照。

4)北品川観光案内所での案内

5月度は、延べ日数11日、延人数22名で北品川観光所に訪問されたお客様の対応を実施しました。

5)定例会
5月27日(金曜日)中小企業会館で実施、来月の連当番、ガイド案内の担当者を決めました

 
   

写真上段中ー三解脱門(国指定重要文化財)慶弔16年(1611)建立。3つ煩悩(むさぼり、いかり、おろかさ)を解脱し悟りの境地を表す。内部中央には釈迦三尊像、脇壇に十六羅漢像、歴代上人像が安置されている。

写真上段ー鐘楼堂、寛永10年(1633)の建立だが、戦火にあい戦後に再建された。「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草か(浅草寺)」にあるごとく江戸3大名鐘のひとつ。
大殿(本堂)戦火にあった本堂は昭和49年に再建された。浄土宗大本山の念仏の根本道場としてあらゆる儀式・法要が行えるよう斬新な設計と意匠が施されている。
本堂地下1階にある「大徳院殿
霊廟模型」家光により2代将軍秀忠の御霊廟(おたまや)が寛文9年(1632)このに境内南側に造営されたが昭和20年の戦火で焼失。
この模型は明治43年(1910)ロンドンで開催された日英博覧会に東京市が出展、博覧会後英国王室に贈呈されたもの。
安国殿ー元来家康の御霊屋として建立されたが、昭和20年の東京大空襲により焼失。昭和49年第殿完成の折、戦災で焼失していた本堂の代わりに借り本堂としていたたものを家康ゆかりの阿弥陀如来像「黒本尊」をお祀りする御堂・「安国殿」とした。
徳川将軍家墓所ー当山に埋葬されているのは、二代秀忠公・六代家宣公・七代家継公・九代家重公・十二代家慶公・十四代家茂公の6人の将軍のほか、その正室、側室、生母等多数の子女が埋葬されている。旧徳川将軍家霊廟は御霊屋(おたまや)ともよばれ、増上寺大殿の南北(左右)に立ち並んでいたが、昭和20(1945)年の戦火で大半が焼失。 焼失した御霊屋郡はしばらくのあいだ荒廃にまかされていたが、昭和33(1958)年から文化財保護委員会が中心となり、詳細なる学術調査が行なわれ、のち土葬であった御遺体は桐ヶ谷にて荼毘に付され、南北に配していた墓所は一か所にまとめられ現在地に改葬されました。
平成12(2000)年、「心を洗い、生きる力を育てる」ための講堂、道場として完成した。一階に講堂、三階に大広間を備えている。 大広間、各天井の天井絵は、21世紀への美術遺産として伝えつがれ、集う人に計り知れない功徳となる。
黒門(旧方丈門)−方丈の表門だったので方丈門と呼ばれ、慶安年間(1648-52)に家光が寄進したものといわれている。唐獅子や牡丹が浮き彫りにされていて精巧な図柄は写実的で近世の建築彫刻を示している。戦火をまぬかれ昭和55年に日比谷通りに沿う現在の地に移築された。
経蔵ー徳川幕府の助成により建立された。内部中央に八角形の輪蔵を配する、九間半四面、土蔵造の典型的な経蔵で、都の有形文化財に指定されている。 家康公が増上寺に寄進した宋版、元版、高麗版の各大蔵経が収蔵され、これは国の重要文化財に指定されている。(現在は後方の収蔵庫に移管)
貞享庵ー十四代将軍徳川家茂公御正室、皇女和宮さまゆかりの茶室。「貞恭」とは和宮さまの法号から名付けられている。 四畳半二間の茶室からなる建物で、昭和55(1980)年に移築・改修し、一般にも利用されるようになった。
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