観光ボランティア鴻巣ガイド会

鴻巣ガイド会研修会「伊奈氏の赤山陣屋と伊奈陣屋を訪ねる」

●実施日:令和4年11月4日(金)
●訪問先:川口市 \峪蛙慍粟廖↓▲ぅぅ淵僉璽川口、8残校、ぜ眈鷸、伊奈町 グ貌狄慍
●参加者:22名
●交通:朝日トラベル社のマイクロバス
 鴻巣の勝願寺に伊奈忠次夫妻・次男の忠治夫妻の墓があり、観光コースになっている。今回は天正19(1591)年に伊奈忠次が入居した伊奈町の「伊奈陣屋」と次男の忠治が寛永6年(1629)に陣屋を移した川口の「赤山陣屋」、菩提寺の源長寺などを見学するのが目的であった。
←赤山城址にて、本日の参加者一同


マイクロバスに乗って出発
川口の「赤山山王日枝神社」
「赤山陣屋を守る会」の田中会長から日枝神社の説明を受ける
赤山城址:徳川幕府で関東郡代を務めた伊奈氏は、寛永6年(1629)3代忠治の時に小室(伊奈町)から赤山に居を移した。
赤山城址に残る「土塁や堀」:陣屋を構えて以来163年間、伊奈氏の拠点となった。本丸と二の丸だけで11万屬發△襦
東京外環自動車道に近い「赤山陣屋」入り口。竹林は良く手が届いていて、きれいであった。
植木や果樹の生産地らしい、両側が生垣の道路
「イイナパーク川口」北門(赤山歴史自然公園):首都高初の「ハイウエイオアシス」で、「歴史自然資料館」と「地域物産館」「レストラン・売店」、隣接する「川口市めぐりの森」などがある。
「伊奈半十郎忠治公の銅像」:赤山に陣屋を置き、関東の開発に貢献した偉人である。
歴史自然資料館「土の家」に展示されている赤山陣屋ジオラマを見る。
 郷土の偉人、伊奈忠治公
ハイウエー・オアシスのレストランで昼食
昼食後、一般道からの駐車場からマイクロバスに乗り、「源長寺」へ
「源長寺」:伊奈氏の菩提寺。関東郡代の伊奈半十郎忠治が、居城に近い赤山の地にあった古寺を再興して、伊奈氏の菩提寺とした。
本堂でご住職から伊奈家の興隆について説明を受ける。本寺開山に当たっては、両親の菩提寺である鴻巣勝願寺の円誉不残上人を特請し迎えた。
「伊奈家累代の墓」:4代忠克以後代々の墓があり、5代忠常建立の頌徳碑(ショウトクヒ)には、忠次・忠政・忠治の業績が刻まれている。
「錫杖寺」(川口市本町):真言宗の寺で、「関東八十八カ所霊場」の第76番札所。
執事の駒井さんから説明を受ける。徳川家二代将軍秀忠公が日光社参の途中、錫杖寺を休憩所と定め、三代将軍家光は昼食をとられ、御朱印20石を賜った。
江戸城大奥最後の年寄「瀧山」の墓。瀧山は十三代将軍家定公、十四代将軍家茂公の年寄を勤めた。開城後は、侍女仲野の生家(川口)船津家へ移り住み、夫婦養子を迎え瀧山家を興した。明治9年(1876)71歳で死去、錫杖寺に埋葬された。
伊奈町教育委員会文化財担当の小杉さんから、「伊奈陣屋」の説明を受ける。伊奈忠次は徳川家康の関東入国後は代官頭として、武州小室・鴻巣領1万3千石を与えられ、小室郷に陣屋を構えた。
伊奈氏屋敷跡「二の丸跡」の説明板。忠次はここを拠点に利根川流域の治水・利水工事と新田開発、検地の実施、街道の整備に力を発揮するなど、徳川家関東支配の基礎を築いた。慶長15年(1610)6月に死去し、鴻巣の勝願寺に葬られた。
前のページへ戻る