観光ボランティア鴻巣ガイド会

10月4日に鴻巣歴史再発見ツアー『荒川・自然と共に生きる小谷を歩く』開催

日時:202年10月4日(月)8:30〜12:50
集合:吹上・小谷小学校東門
天候:晴れ 日中気温29℃
参加者:51名、ガイド会員:26名、合計:77名、班編成:4班
コース:小谷村史碑→五反田河岸跡→小谷城跡→日枝神社→閻魔堂・長島家墓地→金乗寺→宝勝寺→製糸工場跡→冬水田んぼ→御神道→北鴻巣駅(最終班到着12時40分)

←五反田河岸図‐大正時代‐
水運の盛んな頃、ここに問屋や渡し舟業の他お茶屋まであって、江戸方面より船で運ばれてきた荷物が陸揚げされ、出入りする商人で賑わっていた。昭和59年11月、井上毅 画


吹上・小谷小学校東門前で、受付の準備をするガイド会員
村史碑の前で「旧小谷村」の歴史を説明。小谷村は、明治22年(1889)に前砂村・明用村・小谷村・三町免村の4村合併により誕生した。
 一班の皆さん
 二班の皆さん
 三班の皆さん
 四班の皆さん
 荒川土手方向に歩き始める
土手の上から「五反田河岸:現在は吉見ゴルフ場」方面を望む
「大正時代の五反田河岸図」で、当時の河岸の様子を説明。寛永2年(1625)に吉見側に問屋が設けられ、忍藩の外港として栄えた。
「五反田河岸家屋図」には、小谷側に7軒、吉見側に15軒の家が記されている。医師・問屋・渡し舟業の他、置屋(エノキヤ)まであった。
新しく出来たウイスキー工場で、名称は「光酒造鴻巣蒸留所」。元は明治13年(1880)に小谷村の村長の長島其吉が建設した「小谷製糸工場」があった。
「小谷城跡」付近の見取図で、城の役目や城内の配置等を説明。小谷城は延徳3年(1491)頃、忍城の出城として造られた。敵の急襲から守る一時的防御陣地の砦程度の平城。
「日枝神社」の本殿は、四方が彩色された彫刻で飾られていることが最近判明した。「すごろく遊び」の彫刻は、妻沼の聖天堂とモチーフが共通している。
日陰で「日枝神社」の説明を聞く。村の鎮守で、昔は「山王社」と呼ばれていた。
左の写真の彫刻は、ものつくり大学の調査により発見されたもので「宝暦6年(1756)10月吉日、大工 島村俊実作」との墨書きの記録も確認された。
閻魔堂と長島家の説明を聞く。焔魔堂に隣接する墓地に、製糸工場を開業した長島其吉とその父、甥などの墓がある。焔魔堂は、明治3年に廃寺になった焔魔寺の敷地内にあり、長島家が管理している。
「金乗寺」、新義真言宗智山派の寺で、吉見町御所の息障院末寺。荒川瀬替えにより、寛永9年(1632)に当地に移った。
金乗寺の「筆子碑」、寺子屋で学んでいた教え子が、師匠が死んだ際にその遺徳を偲んで、自分たちで費用を出し合って建てた墓である。特徴的なことは、墓石が、「筆の穂先」のような形をしている。
「宝勝寺」、禅宗曹洞宗の寺で、箕田宝持寺の末寺。寛永2年(1625)の開創、開基は小谷城主の小宮山弾正。
ハクチョウが飛来する「冬水たんぼ」。稲刈後、12月から3月までの間、田んぼに水を張る。平成28年11月に8羽のオオハクチョウが飛来、5年連続で来た。コハクチョウは毎年飛来。
中山道から吉見神宮へ通じる道の入口に、嘉永七年(1854)建立の「吉見御神道」と刻まれた石の道標が立っていたが、いまは三つに折れて置かれている。
北鴻巣駅西口にゴールした参加者の皆様。夏日になってしまったので、暑かったですね。終了後、熱中症で倒れた人が出ましたが、大事に至らず無事に帰宅できました。
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