鳩まめ倶楽部

古代『水のまつり』の謎にせまる(下) 神並・西ノ辻遺跡編

前回、古代『水のまつり』が、王によって執り行われたらしいことがわかってきました。では、実際にどのような場所でおこなわれていたのでしょうか? それを示す遺跡が、東大阪で発見されていました。

http://www.do-natteruno.com/con_c/c141/c141.html

 
   

ここは、東石切町と西石切町の境目で、生駒山西麓の斜面にあたります。今から30年近く前、近鉄東大阪線(けいはんな線)の建設にともなって、このあたりで発掘調査がおこなわれました。(地図の赤丸部分)
遺跡の年代は、5世紀後半。そこから出土した物の一つが、上の木製品です。当時、発掘に携わった 中西克宏さん(東大阪市立郷土博物館・学芸員)によれば、「得体の知れない遺物が出てきた」と感じたといいます。
 木製品は、一番上手に位置していることがわかりました。水を貯めたり、不純物を沈殿させる槽(そう)の部分と、水を送る樋(ひ)の部分でできています。まわりに穴の跡が4つあり、屋根の覆いがされていたようです。
 この遺構は、5世紀後半のものと考えられていますが、6世紀前半には、使われなくなったようです。中西さんは、その原因として、『水のまつり』の祭祀権が、地方の王から大和の大王へ移った結果ではないかと考えているそうです。
 飛鳥地方に、水に関係する石造物が多く存在することからも、なるほどと、うなずける話です。
 東大阪郷土博物館へは、近鉄瓢箪山駅から、山手に徒歩15分。博物館近くには、山畑古墳群があり、河内平野も一望できます。ハイキングを兼ねてどうぞ!
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