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件名 「第4回水曜イブニングトーク」が開催されました。(事業協力スタッフレポート)
内容 第4回水曜イブニングトーク「歴史あるタウン誌作りの現場から見つめる日本橋と女性たち」を、事業協力スタッフの村田進益さんに取材していただきました。

10月7日(水)、1979年の創刊以来、日本橋で親しまれているタウン誌「月刊日本橋」の代表取締役である堺美貴さんをお迎えし、ご自身の仕事観や日本橋に縁のある女性たちについてお話を伺いました。再開発が進む日本橋室町で「福徳神社」を再建するなど、日本橋の北側も賑わい人の流れが変わってきました。江戸の名残の色濃い日本橋、過去にも賑わいに縁のある女性が多く住んでいたようです。

幕末に活躍した歌川国芳の浮世絵は「月刊日本橋」の表紙でお馴染みです。その国芳の娘、芳鳥女は東日本橋に住み、国芳のコマ絵を描きます。日本橋から見る富士のコマ絵はまさに壮麗です。

また、日本初の女流劇作家で大伝馬町に住んでいた長谷川時雨は、大正から昭和にかけて商業雑誌「女人芸術」を創刊し、数多くの女性を世に送り出し、女性の地位向上に努めます。それでも彼女の顔には少しも媚びはなく、下町気質の古風な一面をのぞかせ家族総出で掃除に励むイメ−ジは、決して頭でっかちの人ではありません。

そして明治4年生まれの川上貞奴は生まれこそ両替商でしたが、日本橋人形町の浜田家の養女になり、日舞が上手で才色兼備でたちまち評判の芸者となり、そのスゴさは伊藤博文や西園寺公望もごひいきにするほど気に入られたようです。23歳の時、川上音二郎と結婚、舞台に立ち日本初の女優となり、ドビッシ−やピカソまで魅了したそうです。その後、女優養成所を創立し多くの女優を生み出します。女優をやめた後も福沢諭吉の娘婿の福沢桃介という人物と一緒になり、夢のような恋を楽しみ余生を送ったそうです。

最後に竹久夢二が最も愛した女性で、絵がうまい笠井彦乃という女性がいます。父親が日本橋室町で宮内庁御用達の紙問屋を経営し、夢二の経営する港屋絵草子で知り合います。恋におち、深い仲になりますが、25歳で肺結核で亡くなるまで彦乃にとって最高の日々を送ります。流行作家、夢二とのかけおちは相当な覚悟がないと出来ません。

女性たちに共通するのは全員品格があり、心が強く後に続く女性の社会進出に貢献していることです。しっかり恋愛エピソ−ドがあるのも何事にも積極的に取り組む姿勢、自主性が女性として当時を魅了し、活躍できたのではないでしょうか。 
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